punkchill  アゲイン
2006.10.19 realese



1. 泪橋
2. Station α 
3. 濁点
4. ムタチオン
5. リュカとクラウス
6. 三叉路 
7. ホンコンスター
8. Honey Baby
9. ZOE
10. 車に乗るひとりの男
11. ウクライナ 


♪のついている曲は試聴用mp3にリンクしています。
どうぞお聴きください。

レーベル:こぐまレコード
定 価 :1,500(税込)
発売日 :2006年10月19日
品 番 :KGRC-10004




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KOGUMA RECORD 音源販売部
BRIDGE INC.



アゲイン」特集ページへのリンク
こぐまレコード「アゲイン」発売記念ページ
(プンクチル近影あります)
バムブル壁新聞「アゲイン」特集ページ

(アゲインのセルフライナーが読めます)


けっこう強い感じと、
聴いていてハラハラするような感じとが、
味わい深く混じりあっている 
  
柴田 元幸(東京大学教授 翻訳家)




轟音に耳そばだててみる。
すき間から覗き込んでみる。
その先に、どうやらプンクチルはいるらしい。
手を伸ばしてつかみ取ろうとしたら
もうとっくに頭の中を陣取っている。

胸にすっとくる、いかした“朦朧”に
バッファロー・スプリングフィールド「アゲイン」を思い、
ラスト・ナンバーの美しい収束に
楳図かずお「アゲイン」のラスト・シーンを思う。
きみたちは何を思う?
プンクチル「アゲイン」。
松永 良平(リズム&ペンシル)




ぼくとばくちゃんはつきあいが古い
なぜかというと 宇宙レコードのおんがくを理解している数すくないひとだからだ
んでこのアルバム
時間かかるね
んー
時間かけて聴きたいね
思うんだけど 今は(こういう事)が
その
あったほうがいいんじゃないかと
いいんじゃないかと
そう思います

小林 顕作(宇宙レコード)




楽器を持って、演奏することの楽しさを初めて知ったかのような初々しさが特徴的だったファーストアルバムから、一転。
 punkchillのニューアルバム『アゲイン』を貫く抑えめのトーンには、今現在この時代の中で自らの好きな感覚を丁寧に音楽として構築しようと、心技体を駆使した痕跡が随所に見受けられ心打たれます。
 優れた音楽というものはひとつの表現をしていながら、同時にふたつの表現をする。ロックミュージックに顕著なテーゼ、つまり、世界に揺さぶりをかける、不均衡なものを目の前に立ち上がらせる、アンバランスな状態を心の中に想起させる、それを行いながらも同時に、そのアンバランスさが手を離して捨ててしまったものへも想いを馳せさせるような表現をも水面下で行っているものだと思うのです(その逆もしかり)。
 punkchillのニューアルバムにはロックミュージックの持つアンバランスさ(それはもちろん声高に叫ばれるスローガンのようなものではない)がくっきりと表現されていますが、同時にそのアンバランスさと対になるものもそこかしこにちりばめられていて、そのバランス感覚こそがこのアルバムの真髄ではないのか、彼女達のソウル、と呼べるものではないのかと思います。

 つまり優れた音楽としての輝きをさりげなくも放っているのです。

 聡明な彼女達の事ですから「ロックの為にやるロック」のようなもののかっこ悪さは周知の事実なのでしょう。むしろ彼女達が生活をしている中で感じることや思う事、音楽そのものから受けたインスピレーションをそのまま音楽にする為に、ドラム、ベース、ギターを鳴らしている事を私はとてもカッコ良くうらやましく思います。
 音楽を鳴らすことは、ある種の態度の表明であり、シンパシーの共有を望む事であり、最終的にはお互いを癒しあう事を望むものであるとすれば、このアルバムは彼女達による最新型の世界との付き合い方であり、人間性善説を唱える私からすれば  —彼女達はこんな言い方をとてもとても嫌がるかもしれませんが— 彼女達なりの世界の愛し方だと思うのです。
                  
小野 太夫(文筆家)





アゲイン」によせて

 例えば僕が、こぐまレコードから今度punkchillというバンドのCDを出すんだ、という話をして、そのバンドってどういう音楽やってるの?と尋ねられたら、どう答えればいいだろう?いくらでも答え方はある。女3人のバンドである、とかギターとベースとドラムである、とか。ラップじゃないし、フォークじゃないし、トラッドじゃないし、演歌じゃないし、まあそんな感じですよ・・と誤摩化すことも出来るし、まあ色んなバンドの名前をあげて、××××みたいなバンドです、とかね。だけどまあなんとなく、そうやって説明をするのがどことなく気恥ずかしいような気もするのである。色んな意味で。

 それは多分、punkchillの音楽を聴くとこうやって多くの字数を費やして何かを語ることの徒労感を感じてしまうからなのだろう。僕らが何かを受け取り、何かを手渡すとき、それはいつも多くの変換や誤解や直訳や増幅や減退を経て、最初とは違う手触りになってしまうのだが、それは別に悪いことでもなんでもない。ただ、こうやって音楽のことを語る「言葉」というのは、いつも敗北感にまみれてしまうもので、おそらくそれは「音楽」のことは「音楽」で語った方が圧倒的に有利で伝わりやすいからだと思う。punkchillの音楽には、彼女たちが受け取った音楽たちが、実に多くの過程(多くの変換や誤解や直訳や増幅や減退)を経て、もととは違う音楽になる様子が刻み込まれている。それはとても饒舌に「音楽」を語る装置であり、僕らを新たな体験に誘う。このCDを聴いて、多くのpunkchillが影響を受けたであろうバンドたちの音楽を思い浮かべることはあっても、決して既視感(既聴感?)にとらわれないのは、そのあたりの過程がユニークだからに違いないのだ。それは簡単に真似の出来ることではない。

 punkchillはピュアではない。多くの純真や邪心や野心やノイズが混じっている。punkchillは無作為ではない。多くの作為や仕掛けや企みを隠している。punkchillはロハスではない。健康とか自然とか言う前に、彼女たちがロックの熱病にうなされているからだ。うん、褒めようとしたつもりが、うまく書けていない。このもどかしさが、この音楽にぴったりである。

 そしてこうやって文章で音楽を語ることの無力さを感じると、音楽が鳴り止んだ後に僕らがするべきことは、がんばってその感想を言葉にすることよりも、楽器を持ってスタジオに入ることなのかもしれない、とさえ思う。(なんと恐ろしい結論だろう。いや、彼女たちには恐ろしいどころか当たり前過ぎる結論なのだろう)

 というわけで、結局のところ僕はpunkchillの新しいアルバム「アゲイン」について、何も説明できていない。ただそれでいいのだという気がしている。こんなヘンテコな文章でも、すこしでも多くの人が、じゃあちょっと聴いてみようかと思ってくれることを願いつつ、まずは僕らのレーベルからこのCDを出せたことを喜びたい。

biwacovic(こぐまレコード)





モドル